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【援護法Q&A 7】日本の戦争犠牲者補償制度の問題点は、どこにあるのですか。

 Q7. 日本の戦争犠牲者補償制度の問題点は、どこにあるのですか。

国民全体の補償制度はない

まず、戦争犠牲者のおかれた状況が、憲法の保障する人間の尊厳と平和の理念に合致していないことが問題です。

第二次大戦中、民間人(一般戦災者)は、戦時災害保護法による扶助対象となっていました。

しかし、戦後になるとGHQ の非軍事化政策の一環として、軍人恩給の停止、軍事扶助法・戦時災害保護法を廃止すると同時に、戦争被害の救済は生活困窮者に対する生活保護などの社会福祉制度によるものとされました。

ところが、米ソ対立の深まりや朝鮮戦争の勃発という情勢の中で、アメリ力は戦争を押し進めたB 本の軍事支配層の活用を図ろうと企図するようになりました。その結果、公職追放が解除され、旧内務省官僚により構成されていた厚生省は、ふたたひ.明治憲法的な「お国の為」「お役人」であることを価値基準の上位に置く戦後処理を行うようになってしまったのです。


軍人と戦争参加者には恩給など

このような状況を背景に成立したのが、1952年4月30日に公布された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」でした。

同法が救済対象としたのは、1953年に軍人恩給復活で恩給対象からはずれた軍人軍属でした。

その後も、支給対象は、拡大されていったものの、あくまで「お国のための軍務に服した」 ことを変わらぬ基準としており、拡大は軍務や国の業務の従事者、協力者にとどまりました。

外国人の被害者を排除し、次いで日本国民についても「受忍」を原則としながら、ただ、「お国のため軍務に服した」人たちだけには援護するというのが、国内戦後処理の基本でした。

つまり、国家の命令に従った者に限定して救済するというものでした。

例外として、終戦直後大きな運動が存在した引揚者や、ビキニ被災を背景に支援運動が存在した原爆被爆者等に僅かな措置がなされるに止まることになったのです。


憲法上の矛盾

戦後、国民が国の主権者であり、平和の下に平等に生きる権利が保障される事になりました。旧憲法下の「お国の為の軍務に服した」者のみを援護する現行制度のあり方が、憲法と矛盾する事は明らかです。

この矛盾は軍人軍属について戦争犠牲者予算の90%を超える支出がなされ、また、民間犠牲者も中国残留孤児等極めて不十分ながら措置がとられたにもかかわらず、空襲被害者は放置されたままになっており、不合理・不平等が一層拡がっています。


ヨーロッパの平等主義

ヨー口ッパ諸国では、戦争被害者補償に戦闘員と非戦闘の間、また国籍による不平等もありません。一人一人を人間として大切にする人権、人道の視点から皆で平等に分担する戦争被害者補償がなされているのです。また、人権と同一の基礎に立つとされる園際人道法の視点からいっても、民間人は、まず保護されなければならないのです。

日本政府が、アメリ力に対する無差別攻撃による損害賠償をサンフランシスコ条約で放棄してしまったことを考えれば、なおさら、民間人の被害は国がその責任で補償すべきことになります。


憲法前文の誓い

のみならず、前文で、「政府の行為によって二度と戦争の惨禍が起こらないようにする」ことを誓っている憲法が、戦争犠牲に対して補償を全く予想していなかったとは考えられません。更に憲法前文は、「我らは全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とも述べています。

欧州諸国よりも人々の平和の中に生存する権利と戦争への反省を強く誓った憲法の下で暮らす日本で、今残された一般民間戦災者の多くが、当時、戦争の責任を負うべくもない来成年者の被害者であったことを考えると、なおいっそう、強い補償が求められます。

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