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共同代表の早乙女勝元氏の死去と追悼文

 共同代表の早乙女勝元氏の死去と追悼文


(撮影:Shinji TERUYA)
(撮影:Shinji TERUYA)
全国空襲連の共同代表であった早乙女勝元氏が老衰のために、2022年5月10日に永眠いたしました。2007年からの東京大空襲訴訟の東京地裁での審理に際し、原告団は早乙女さんなどの専門家証人と原告の証拠調べを申請しました。この時国側は「早乙女勝元氏の尋問は不要であるばかりか、かえって有害である」との意見書を提出しました。我々はこの発言に強い憤りをもって抗議活動を展開しました。その結果、国側は2008年6月に至って「有害」の字句を削除せざるを得なくなりました。早乙女さんの存在はそれほど被告としての国側に脅威を与える存在であったことを、今でも鮮明に記憶しています。

2010年8月の全国空襲連結成以来、共同代表の筆頭として空襲被害者救済法実現のために全面的にご尽力いただき、度々東京大空襲での実体験談などの講演もしていただきました。

全国空襲連としては、東京大空襲訴訟弁護団長として東京大空襲の非人道性や国際法違反を強く主張し、人間回復を求める裁判と位置づけて戦い、一方で空襲被害者の救済と補償の立法化を求める全国空襲連を立ち上げた中心メンバーの一人である中山武敏共同代表に下記の追悼文をお書きいただきました。中山弁護士は、個人的にも早乙女共同代表と長年にわたって親交のあった方です。

(事務局長 蒲生 眞紗雄)


早乙女勝元さんを偲んで

早乙女先生の突然の訃報に接し、驚きと悲しみでいっぱいです。

先生は私にとって兄以上の大きな存在でした。

先生と出会って早いものでもう20年以上が経ちました。

先生との出会いが私の人生にとって大きな転機になり、東京大空襲訴訟に繋がりました。

先生は穏やかな人柄でした。

東京大空襲を体験したことによる戦争に対する激しい怒りと悲しみが、

先生の執筆活動の源だったと身近に接して感じていました。

ご冥福をお祈りします。

                   2022年5月16日

全国空襲被害者連絡協議会 

共同代表 中山 武敏


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